こんにちは!この間、何人かで話をしている時に、「できると信じること(できると信じて行動しつづけること)が大切だ」みたいな話がでて、思い出した話。
やればできることをやらなかったから
「やればできることをやらなかったから」
これは、子供の頃によく母親に怒られている時に言われた言葉。
今となっては、なぜ怒られたか、なんて細かいことは覚えてないけど、
まぁ、だいたいは、テストの点数が悪かった。宿題をほったらかしにしていた。すると約束したことをしなかった。とか、そんな理由だと思います。
特に、勉強に関してだけ厳しいという事もなかったので、部屋が散らかってても怒られたし、勉強よりも、まず人としてきちんとしなさい、みたいなことで怒られてた印象が残っている。←逆に、私はどれだけあかん人間だったんだろうか。笑
で、大体最後に、怒った母は、いうわけです。
「できなかったから怒っているんじゃない。やればできるのに、やらなかったから怒っているんだ」と。もう、それは呪文のように、耳に残っている。結構、すぐさぼる性格だったので、よく怒られた。笑
で、単純な私は、いつも、「そうか、この(悪い)結果は、私ができない人間だから、こうなってしまったわけじゃないんだな。やったらできるのに、やらなかった(準備を怠った。勉強をさぼった)から、こういう結果になってしまったんだな。」と。
本能的に植え付けられたんですよね。「できる」っていう事を。
何も、私にやってやれないことはない。とか、私に不可能はない。とか。そんなレベルの高い話をしているのではないんですが、学校の勉強とか、部屋を片付けるとか、人との約束を守るとか、そんな日々のことは、
「やればできる」
が、私の考え方のベースになりました。
逆にいうと、「私なんかに、できっこない」みたいなマイナス思考がなく育ちました。
目の前にあることを、「できないかも」前提で向き合うのと、「やればできる」前提で向き合うのとでは、全然違った結果になってくると思います。大人になって働くようになってからも、難しい仕事に直面した時に、「こういう風にしたらできるんじゃないか」「(お客さんが言って方法では難しそうだけど)こういう形であれば、解決策だせるんじゃないか」と考えられるのは、ベースは、「やればできる」(まぁ、なんとかなるか。ぐらいの感じですが)にあると思います。
母としては、結果よりも、なぜそうなったのか、ということを考え、改めさせたかったんだと思いますが、私は、そうやって怒ってくれていた母に感謝しています。(怖かったけど。怒ったら、本気で怖かったけど。)結果、オーライで!
おまけ
ほかに、よく怒られてたのが、
「口が開いてる」「目をこすらない」この2つを覚えています。
まぁ、2つ目はおいといて、「口が開いてる」については、
母「また、口開いてる」
私「開いてるんじゃなくて、開けているんです」
とか言い返していたのを覚えてるぐらい、よく言われて、なんでそんなことでやいやい言ってくるんだろう、と思ってた。でも、ぼけっと口開いてるのって、結構まぬけだから、そこはほんとにしつこく怒ってくれてよかったなと、大人になった今、感謝しています。